大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

コミュニケーションにおける"愛"の話。

正しい働きかけ方という確固たるものが存在するわけではないのだけど
働きかける側と働きかけられる側の双方が幸せになれる、という意味において
ある程度のセオリーはあるのだと感じる。
(働きかける、ということばは上下関係を感じさせるので微妙だけど
ここでは便宜上、こう書きます)

 

 


相手への"愛"があることが大前提であり

 

それは、

相手へ関心を向けつつも
自分の理屈のなかに相手を勝手に組み込まない、どこかで淡々と両者を切り離して捉えるのを両立させることが
大事なのかなと思う。

 


そしてさらなる前提で、人は放っておいても勝手に動き出すものなので
"ザ・働きかけ"はするだけ野暮なことも多いんだなぁ、と感じる。

 


求められてもいないのに、"ザ・働きかけ"をしてしまうときは
たいていが無意識下でのコントロール欲求にもとづくことが多いように思う。

これは"愛"が不足している状態。

 

(逆に、求められていることに気づかずに放置してしまうということもあって、

これは上とは逆の無関心だけど

"愛"の不足という点では同じ)

 

 

□"愛"のベクトルがどこに向いているのか?

 

□それはきちんと相手に向かっているのか?

 

□実は、相手に向かっていると見せかけて
自分に向けているだけのものじゃなのか?

 

 


これらの問いは、とても大切。

、、、というか見抜かれた時点でコミュニケーションは破綻している。
(そして、大半の場合は第六感が働くのか
そういうのは相手に伝わっちゃうもの)

 

 

 

究極、すべてのことは自分のために行なうことなのだけど
(例えば、美味しいご飯を作って家族が喜ぼうが、それだってその姿を見て自分が幸せになるためにやっているだけ)

 

 

自分の心のなかに愛情を満たせていないのに(※自己愛)
愛情と思しき感覚を急遽引っ張ってきて使おうとするものだから、
うまく作用しないんじゃなかろうか。

 

 


「あなたのためだから」
「心配だから」


という言葉の仮面をかぶりながら、
それは相手を包み込むことばではなくて
自分を包み込むことばになっていることに、

わたしもみんなも気付ける瞬間がもっともっと、増えていきますように。

 

 

自分が自分を満たすのも
ひとに向けるのも
ひとから向けてもらうのも
純粋な愛だらけで満たされていきたいなぁ。

 

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