大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

夢のために生きてるんじゃない。

 

 「夢があっていいなぁ。」

 


そんな言葉を久しぶりにかけてもらえたのだけど
なんだか感覚的にピンとこなかったのは、なぜだったのか。

 

 

 

 

 

わたしには世の中で言うところの"夢"と呼べるものがあるのだけど、それはタラレバの仮定の世界にあるものではなくて
ちゃんと、リアリティを持って
いまのじぶんから手元へたぐり寄せていくことが可能だと感じる"夢"なのだけど。

 

 

 

 

 

それでも、わたしは
そのために生きてるわけではないのだ。

 

 

 

 

 

そして
なんだか地に足のついていない、当時からしてみればタラレバ的な"夢"を掲げて生きていたときというのもあったのだけど。

 


そのときは、

本当にしんどかった。

 

 

 

 


実は、わたしの"夢"は
この6年ほどのあいだ、大きくは変わっていない。

 

 

 

 


日々のわたしの「在り方」が
変わっただけなのだけど、
それによって、"夢"に向かうベクトルの向き・角度が変わった。

 

 

 

 


この1年半ほどのあいだ、
生命体としてのインスピレーション・感性を研ぎ澄ませて
毎瞬毎瞬のいのちがよろこぶ心地よさを選び取ることに、全身全霊をかけてきた。

 

 

 

 

最初はうまくいかないこともあったけれど(いまももちろんあるけれど)、
それでも諦めずに
スモールステップを繰り返してきたし、いまもときおり足踏みもしつつも繰り返している。

 

 

 


そしたら
あんなに苦しかったのが嘘みたいに、まいにちが幸福感で満ちあふれた。

 

 

 

タラレバの"夢"を見つめていたときは、ずっと

「足りない、足りない、足りない」がわたしの呪文だったのが

 

いまは

「満ち溢れてる、進んでる、すでにある」に。

 

 

 


たとえ小さくても
"幸せ"が呼ぶほうへ進んでいるという、たしかな手応え感。

 

足踏みするときも、

軸足をおおきく踏みはずすことはなくなった。

 

 

 


幸せな人生のイメージは
我慢して我慢して頑張って、
ある日オセロがひっくり返るみたいに
世界が変わるイメージだったけど

 

そうじゃなかった。

 

 

 

 

 

生命体としての自分の魂と肉体に
誠実に向き合い続けること、
間違っても、途中で自分を見捨てないこと
自虐しないこと、諦めないこと。

 

 

 

 


じぶんのいのちと魂を、
これでもか!!!というくらいに可愛がること。

 

 

 

 


今日といういちにちに、瞬間に向き合って
自分のいのちと魂を、真摯に煌々(こうこう)と燃やすこと。

 

 

 

 

 

 

わたしのいのちの時間である
"いま、ここ"を
いかに愛しぬけるか。

 

 

 

 


真の意味で
いつ死んでも後悔のない生き方って、
そういうことじゃないのかな。

 

 

 

 


"夢"が叶わないと無念だった過去のわたしだし、
いまも"夢"をかなえることは人生の中に含めてはいるけれど

 

仮に、その夢の存在がなかったとしても
きっとわたしは、変わらずに幸せに生きていける。

 

 

 

 

目標とか夢なんて、
なくったっていいのだとおもう。

 

 

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