大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

あなたより上はいないし、あなたより下もいない。

学生時代の友人のFacebookを見るに

あ、彼女なんかやってるな、、、

という感じの子がひとり。笑

 

 

 

これはディスるわけではまったくなくて、というか

わたしも経験があって(※コミュニティビジネス)

なんだか以前の自分を見ているようなこそばゆさなんかもあったりヽ(´ー`)ノ

 

 

 

おせっかい&老婆心ながら(同い年だけどね)

ありゃー思ったりも正直するけれども、まぁ

そんなわたしの勝手な自己投影を投げるというような無粋はもちろんしないけど

思うこと。

 

 

 

 

タテ割りのコミュニティビジネス、またはビジネスでなくてもコミュニティ的な組織に感じるのは

そこに上下の概念がほぼ必ずと言っていいほど

入り込んでくるという息詰まり感。

 

 

 

 

"タテ割り"というとすごく限定的なのでもっと一般化すると、要は

誰か一部の"すごい人"とその他の人たち

という組織構成も、ここでは同義とする。

 

 

 

 

そして、"上下の概念"というのも限定的かつ漠然としているので

例えを言ってみると

"してあげたい"→してあげる人としてもらう人

"与えてあげたい"→与えてあげる人と与えてもらう人

"がんばる"→がんばる人とがんばらない人(がんばるのが美しいという前提)

 

他にも

・常になにか比較対象を想定したもの言い

・仮想敵を想定したもの言い

 

などなど。

 (上下の概念に加えて、"シロかクロ""敵か味方か"などもふくむ)

 

 

そしてそれは

当人はまったくの無自覚かつ悪意はもちろんないパターンが大多数なんじゃないかな。

 

 

 

 

そういうときって、

世界の仕組みがそうなっちゃってるから気づきもしなかったりして。

 

 

 

 

こういうところに絡めとられちゃう人って

優しくて気のいい人が多いなぁ、という印象。

 

 

 

 

絡めとられる、という言い方も

不穏なニュアンスを込めているけど(笑)

わたしのフィルターからは少なくともそんな感じ。

(他の人はわからない)

 

 

 

 

わたしの場合は、途中から

「こういうのが嫌だな〜」

「でもこの組織にいる限りはガマンガマン」(←組織にいるといいとこ取りだけできない不自由さ)

みたいな我慢ループに入ったので

だから、不都合な現実や上手くいかない現実が押し寄せたというのもあると思う。

 

 

 

そんななかで、いつまでも我慢し続ける鈍いわたしに

トドメを刺すかのように傷ついた事件が起きて

それは、割と最近まで

思い出して口にだすと涙が出ちゃうくらいに

トラウマ級なことだったりした。

 

(もう1年以上も経つのに!驚)

 

 

 

 

でも、そのおかげであの世界から外れるアクションを取ることができて

その結果としてのいまがあるならば

一概に悪いことではなくって、ギフトだったのかなぁとも思ったり。

 

 

 

 

話が脱線したけど、こういうのが目につくのは
自分が通り抜けてきた道だったからのいろんなフラッシュバックがあるからであって。

 

これも自己投影だけど、願わくば
その人にとっての優しい世界に落ち着いて欲しいなぁ、なんて思うのです。

 

 

 

いまや

わたしの上には誰もいないし、

わたしの下にも誰もいないという幸せ。

 

 

そしてそれは、

わたしが単にそう決めただけ♡