大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

"女性という存在に、海のような底知れなさを感じる。"

なんの話だか忘れたけど、先日主人と話してたときに印象的だったくだり。   「女性って、底知れない。海みたい。すべてを包み込んだり、飲まれたり 時に恐ろしくもある。対して、男はもっと表面的なんだよね。究極、表面のかっこよさだけで生きてる。」   わたしは女なので自分のことになるけど、そういえば自らの底知れなさみたいなのは不思議と感じることがあるなぁ、と思った。  

穴を埋めたかったのは誰か?

女は、常になにかが欠けている。 空洞がある。存在に、"ぽっかり"を内包している。 でも、それがふつう。その穴を含めて女そのもの。 女は身体に穴という宇宙を抱えてる。   そんなことを 好きなブロガーさん、藤本さきこさんが書いてたなぁ。   20代のわたしはずっと、この"ぽっかり"を認めてこなくて、許可をしてこなくて、埋めないと人間の完成形になれない気が常にしてきてた。 埋めるのに必死で、でも 埋めても埋めても埋まらない 埋められない自分に絶望してた。自己否定感。 何がそうさせたかって、 たぶん 男性と女性の別なく、同じスタイルで仕事をすることが求められながらも 世間のあちこちで目にする「女性とはかくあるべき」みたいな、男女"区"別に見せかけた男女"差"別のメッセージのシャワーにこの身をあて続けたからなんだろう。

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自分の女性性を否定して意識から葬りさろうとしていた表面上のわたしと、それに抗ってきた生き物としてのわたし。   苦しかった。   3年前、今思えばめちゃくちゃに苦しかったネットワークビジネスからようやく離れたときに、努力とか すごいと認められようとか 可愛くみられようとか 人気者になろうとか みんなから好かれようとか うまくやろうとか、我慢して忍耐してやり遂げてやろうとか そういうのを捨てて、生きづらさや苦しさはみるみる溶けていった。 いまやわたしは 自分の底知れない空洞をまるごと抱きしめている。   愛おしい、女に生まれてきてくれてありがとう、女で良かった、と思う。  

あやふやなことを、そのまま置いておく。

底知れなさというのは、自分でもよくわからない、理解できない部分のこと。 なんで腹たったんだろう、嬉しいんだろう、悲しいんだろう わたし何がしたいんだろう、本当は何を望んでるんだろう、って ぜんぶ分析して答えを急いで出してきたことを ときにわからないまま、穴の中にぽいっ、と置きっぱなしにしておく。 とりあえずそこに置いておく。   あやふやのままで存在することを、許しておく。 あやふやで置いておくのがきもちわるい、解決したい解明したい!と、答えを出そうとする努力を捨てた。 これも藤本さきこさんブログから教わったこと。   すごい楽。   答えなんて、急がなくたって然るべきときに自然に降ってくるものなんだ、なぁんだ、ということがわかった。     追伸 最近 押見修造さん漫画を読んで、女性の底知れなさが感覚にさらにじわじわ響いてきてる。 押見修造さんって、女性への憧れとか恐れとか尊敬とか 底知れなさがぐっちゃぐちゃになった後に 女性の美しさや魅力に昇華されている様子を、すごい上手に描いていてすごいなと思う。 女ってすごいんだぜ!

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