さて、半月くらい筆が止まってたあいだに 何してたかーと言うと。 新しいアルバイトへ通いはじめたり →そして、辞めたり! 東京事変のMVを死ぬほど観まくったり なんで解散前にライブ行かなかったんだろう、、、 梅酒と梅シロップ作ったり はるちゃんに会いに行ったり 本当に、オーラから生き様からなにから 美しい方だった。。。 自分の脳内思考を解剖実験(!)してたり。 藤本さきこさんのブログと本をめっちゃ熟読しまくってる↑ 中でもインパクト強いのは わたしは 感情解放習慣のなかに身を置いたということ。 ☆☆
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以前、ネットワークビジネスしてたときのセンセイ(※わたしは元ネットワーカーです)が 「感情の奴隷になるな」 「あなたの大事な魂を、どうしてそんなにごった感情なんかに浸からせるの?」 と、もっともらしく(笑)言っていて。 ネットワーク終えてみてから いろいろいろいろいろいろ!!思うことあったのだけど(端的に言えば、やっぱりあいつ嫌いだったー!!!と思った笑) この言葉だけに関しては、けっこう最近までお守りにしてきてた。 けど、ズレてたんだな〜〜ってことが この数日の間に腑に落ちてしまった( ̄  ̄) ☆☆ そのセンセイは 感情と魂を、完全に分けて 魂>>>>>>>>>>感情 、、、 要は 「感情=低俗、魂=高尚」っていうもの言いをしてたわけだけど、 そもそも その前提が違うんだよー!と。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 魂=====感情 ※レベルの高低はない、という意味のイコール 魂→現実を具現化していくために必要なもの 感情→魂を理想の形に形づくっていくために活用する"どうぐ" 、、、 つまり、役割がそもそも違って どっちも必要というかんじ。 感情を感じなければ、自分が実現したい世界をクリエイトしていくための魂を かたちづくることすらままならない。 湧いてくる感情が示すサインを 単なる汚物として見下して蓋をしてしまったり 抑圧してしまったり。 いちど湧いた感情って、味わってやらずに抑圧したって消えるものじゃなくて 表面上は穏やかにいられたとしても、 潜在意識下にそれは溜まり続けるんだよね。 "無視された"="大切にしてもらえなかった"記憶として。 ☆☆ でも 感情を出てくるままに出しっぱなしで終わる、というのも違うと思っていて。 感情が出てきたら、出し切って味わい尽くした上で 見つめてあげること。 子どもと一緒で、 いかに「見てあげるか」。 これをかっ飛ばして無視するから 自尊心とか自己愛って育たないんじゃないのかな。 「なんで悲しかったの?」 「なんで寂しかったの?」 「なんでムカついたの?」 この問いをじっくりと向けてあげることが、すごく大事。 何かを我慢してたり 変な"べき""ねば"の思い込みをしていたりするのを見つけたら、これを解除するため。 そして 「なんで嬉しかったの?」 「なんで幸せだったの?」 これをやってあげると、自分の幸せポイントがわかるから それもどんどんやったらいい。 ☆☆ なので最近はわりと、怒ったり悲しくなったときは 頭でこじつけておさえつけないで 「ギャーッ!!」と発散してる。 で、もうひとりの自分で もくもくとそれを見つめてる。 日常の「あ、こうしたいな」「これやりたいな」の具現化のスピードは、 なんか早まったような気がするぞ。
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