大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

「感情の奴隷になるな」は、ある意味で正しいけど それだけだと不足な件。

さて、半月くらい筆が止まってたあいだに 何してたかーと言うと。     新しいアルバイトへ通いはじめたり →そして、辞めたり!       東京事変のMVを死ぬほど観まくったり なんで解散前にライブ行かなかったんだろう、、、       梅酒と梅シロップ作ったり     はるちゃんに会いに行ったり 本当に、オーラから生き様からなにから 美しい方だった。。。       自分の脳内思考を解剖実験(!)してたり。 藤本さきこさんのブログと本をめっちゃ熟読しまくってる↑       中でもインパクト強いのは わたしは 感情解放習慣のなかに身を置いたということ。 ☆☆

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  以前、ネットワークビジネスしてたときのセンセイ(※わたしは元ネットワーカーです)が 「感情の奴隷になるな」 「あなたの大事な魂を、どうしてそんなにごった感情なんかに浸からせるの?」 と、もっともらしく(笑)言っていて。     ネットワーク終えてみてから いろいろいろいろいろいろ!!思うことあったのだけど(端的に言えば、やっぱりあいつ嫌いだったー!!!と思った笑)   この言葉だけに関しては、けっこう最近までお守りにしてきてた。       けど、ズレてたんだな〜〜ってことが この数日の間に腑に落ちてしまった( ̄  ̄)     ☆☆ そのセンセイは 感情と魂を、完全に分けて 魂>>>>>>>>>>感情   、、、 要は 「感情=低俗、魂=高尚」っていうもの言いをしてたわけだけど、 そもそも その前提が違うんだよー!と。       ↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 魂=====感情 ※レベルの高低はない、という意味のイコール 魂→現実を具現化していくために必要なもの 感情→魂を理想の形に形づくっていくために活用する"どうぐ"   、、、 つまり、役割がそもそも違って どっちも必要というかんじ。       感情を感じなければ、自分が実現したい世界をクリエイトしていくための魂を かたちづくることすらままならない。     湧いてくる感情が示すサインを 単なる汚物として見下して蓋をしてしまったり 抑圧してしまったり。     いちど湧いた感情って、味わってやらずに抑圧したって消えるものじゃなくて 表面上は穏やかにいられたとしても、   潜在意識下にそれは溜まり続けるんだよね。   "無視された"="大切にしてもらえなかった"記憶として。   ☆☆   でも 感情を出てくるままに出しっぱなしで終わる、というのも違うと思っていて。     感情が出てきたら、出し切って味わい尽くした上で 見つめてあげること。     子どもと一緒で、 いかに「見てあげるか」。     これをかっ飛ばして無視するから 自尊心とか自己愛って育たないんじゃないのかな。       「なんで悲しかったの?」 「なんで寂しかったの?」 「なんでムカついたの?」 この問いをじっくりと向けてあげることが、すごく大事。     何かを我慢してたり 変な"べき""ねば"の思い込みをしていたりするのを見つけたら、これを解除するため。     そして 「なんで嬉しかったの?」 「なんで幸せだったの?」 これをやってあげると、自分の幸せポイントがわかるから それもどんどんやったらいい    ☆☆   なので最近はわりと、怒ったり悲しくなったときは 頭でこじつけておさえつけないで 「ギャーッ!!」と発散してる。     で、もうひとりの自分で もくもくとそれを見つめてる。     日常の「あ、こうしたいな」「これやりたいな」の具現化のスピードは、 なんか早まったような気がするぞ。  

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