大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

隠れコミュ障だけど、みんなとゆるやかにつながりたい。

今風な言い方でいうと、 おそらくわたしはコミュ障なんだと思う。   人との関係を ちょうど良い感じに継続していくことが すごく苦手。       これは 生まれ持っての気質なのかもしれないし、はっきりした起源はわからないのだけど なんでもかんでも白黒はっきりさせたくなってしまう衝動というか、本能みたいな感覚が身体感覚として常にあって それは人との繋がりにおいてもずっとそうだった。     なんというか、言い方悪いけど 自分の中に「ある日何かをばっさり見切る」って概念が わりとレギュラーに存在してる。       おそらくだけど 見切る、なんて概念が意識の中にのぼってこない人口のほうが多い気がしてる。     良くも悪くも、そんな自分の特殊性は 良く働いたこともあるし 悪く働いたこともあるし そのプロセスは、自分にとっての「ふつう」だったから 気にもかけてこなかった。     だって、嫌なものは嫌なんだもん。 傷ついたんだもん。 もう傷つくの嫌なんだもん。   ・・・ でもでも。   "あれ、、、これを続けていった先に わたしが作りたい世界があるんだっけ???"     そんな声が聞こえはじめてきた。       これまでがどうではなくて、 これからをどうしていくのか。   ************   最近、ずっと気になっていた 未来食堂へ行ってきた。  

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店頭で購入した 店主の小林せかいさんの本がすごく面白くて、 二冊ともあっという間に読み終わった。     お店で見たせかいさんの空間づくりを踏まえて、せかいさんの「縁」についての考え方は すごく衝撃というか、少なくともいまのわたしにはとてもインパクトがあったんだよね。    「馴染み」とか「仲良し」とか「馴れ合い」とか、そういう感覚とは無縁。   でも「孤独」にはさせない。   先日に行ってきた新宿BERGにも 似たようなニュアンスを感じたのが心地良かったのだろう。   せかいさんは「螺旋型コミュニケーション」という言い方をしていて、一部を抜粋すると

未来食堂のシステムは、リアルタイムに人と人が出会うというよりも、通り過ぎた人に思いを馳せるような"螺旋型"の形をしています。 (「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」小林せかい著 P157)

これはすごくしっくりくる感じがする。     馴染みたかったし 仲良しになりたかった。       でも、それってけっこう疲れるし 相手に合わせたり愛想をよくしたり、空気を読むとか はじめての人と仲良くしなきゃとか できないときってあるんだよね。     コミュ障だとか人見知り(=人と話すのに良くも悪くもエネルギー使う、という意味)だって言うと、みんなから意外な顔をされるのだけど エネルギーに満ちてて余裕があるときにはできたとしても、どこかで少しずつの無理とか我慢をしながらこれまでやったりしてきた。   エネルギー不足のときって、 ほんとにできない。 まじでできない。 そして、そんな自分に罪悪感。     だれとも喋りたくなかったり ニコニコしたくなかったりして、 気が向いたときだけしゃべりたいな、、とか。       空気吸おう!とか より良く吸おう!とか 味わって吸おう! なーんて考えて常日頃から呼吸する人がいないように、人との関係も空気でありたい。     ときおり深呼吸して味わってみて おぉ、そういえば空気が美味しいなぁ、生きてるなぁ、ありがたや、、、みたいな。     主人も母も妹も祖母も、主人の家族も わたしにとって美味しい空気みたいな存在だけど、そんな感じで すべての人とゆるやかにつながりたいな、と思うようになってきた。     特に美味しい空気!みたいな波長の合う人がいてもいいし、 けど特別扱いとか ひいきとか気に入られようとか 頑張って仲良くなろう!とか そういうのは 空気ではなくてもはや麻薬みたいなもので、 心地よくない瞬間がくるたびに感情が乱れたり 心がざわついたりきてしまうから もうそんなことをしている場合じゃないのかもしれないな。

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