大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

貧乏は笑えばいいけど 貧乏"くさい"自分は許可するな。

さいきん言語化できたのだけど   思い返せば 子どものときから ずっとずーーーっと 潜在的にあった価値観、     貧乏"くさい"ということが 死ぬほど嫌いである   ヽ(´ー`)ノ       周りの人を見ててもそうだし、 自分の行動においてもそう。       なんかもう、 切腹レベルにもだえるほど イヤ。笑     、、、 でも、貧乏なときもあったし いまも 「うおー!手持ちが1万切ったー!!!」(笑)みたいなときだって、あるし。     なんとゆーか、 「貧乏」もそうだし 「病気」もそうだし 「怠け」とか 「怒り」とか「悲しみ」もそうだけど、     状態として存在するのはOKなんだけどね それが恒常化した人にはなるなってことなんだな〜。       「貧乏」な状態になってもいいけど "貧乏人"にはなるなだし、"貧乏くさい"感性を自分に許すな。   「病気」になることがあってもいいけど "病人"にはなるな。   「怠け」る日があってもいいけど "怠け者"にはなるな。   「怒り」を感じることがあってもいいけど "怒りっぽい人"にはなるなだし、 「悲しみ」を覚えてもいいけど "幸薄い人"にはなるな。   ☆☆   「貧乏」と"貧乏くさい"については、わたし自身がずっと混同してきたから やみくもにお金を追い求めるのに、変に見栄を張って散財したりして   結果、"貧乏人"ループ。         いま わたしが思う"貧乏くさい"っていうのは、 目先のお金という物体の増減だけを見ていて その先にある価値を受け取れないということだ。     例)   「安いから買っておかないと損」 →そもそも、それ欲しかったの?? 定価でも欲しいものなの?   「食べ放題だから食べないと損」 →そもそもそんなに食べたいの?   「楽しみにイベントや飲食店に来たけど、できるだけ安く済ませたいから 節約しながら楽しもう」 →価値を受け取りにきたんじゃないの? その節約した数百円を払って得られる価値(本当は食べたかったものとか欲しかった体験とか)を 捨ててもいいの?   「あと少し仕事して、残業代稼いでいこう」 →とっとと終わらせて、信頼を稼ごうとか思わないの?   ☆☆ 貧乏くさい"というのは意識の向け方と健全な直感力の話なので、 お金持ってる人でも 貧乏くさい人っているなーと いろんな人見てて思う。     逆もしかり♪ 近所の珈琲屋さんでカプチーノ♡ ここのカプチーノはめちゃめちゃ美味しい!  

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