大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

プレーヤーがゲームを実況中、というメタ視点。

メタ視点、ってことばって ググっても出てこない不思議。     メタフィクションは出てくるのに!   ※メタ発言は出てきた       「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメが超絶なメタフィクションものなわけですが、 考察ブログの中にわかりやすい説明があったので引用↓

メタフィクション 演劇で言うと「演者」と「観客」の間にある超えられない壁⇒(やはりこれは物語なんだよね現実なわけないよ)という感覚を倒置させ錯覚させる技法。進行中の物語に(読書と同じ目線の)演者が物語の枠外(物語の世界観とは別の観点)から観客に語りかけることにより現実なのか物語なのか混乱させたり。。

引用元「考察&感想 「涼宮ハルヒの憂鬱」 面白さとは……」   サザエさんのアニメで、来週の予告のあとに サザエさんが視聴者に向かってじゃんけんを仕掛けてくる アレもある種のメタフィクション アニメの中にいるはずのサザエさんが、 画面の外側の私たちに語りかけてくるという演出のこと。   ☆☆ "メタ"というのは物語全体を俯瞰して見ている高次の視点を指し "フィクション"は物語そのもの。       サザエさんを見ているわたしたち=メタ、 物語の中にいるサザエさんたち=フィクション。   ☆☆ メタとフィクションは わたしたち自身の一人二役でも両立し得るもので、 いま目の前のことに取り組んでいる自分自身っていうのは 実はフィクションなんだなー。     どんなに悩もうとも どんなに苦しもうとも どんなに悲しんだり怒りに心を震わせようとも わたしたちがいま感じてるのって、ぜーんぶフィクション。      自分で好んで選んで、 プレイしているイメージ。     こういう視点って 何が良いかと言うと、 日々の精神的な自由度上がりまくるんだよね。     何選んだって良いことに気づけるし   良い意味で、 深刻になることなんて 何にもないってことに気づけるし   悩んでることがバカみたいだー!って 冷静に戻ってこれるし。     追伸 余談だけど "メタ世界"だとか"フィクションの世界"という概念にわたしが初めて触れたのは 大学時代の「うみねこのなく頃に」に どハマりしていたとき。 当時は、この多次元構造がピンとこなかったのだけど、、、。 (ストーリー自体は当時からめちゃめちゃ大好きな作品!)     ちなみに、有名な前作「ひぐらしのなく頃に」もうみねこに同じく メタとフィクションが両立している。   (ここでは触れないけど、もっと言えばパラレルワールドの概念も内包している ものすーーっごい名作!!) ※取っつきやすいアニメ版の画像を貼ったけど 両方ともpcで原作ゲームをぜひ!! (アニメはホラー要素のみ強調された、まったくの別もの)