大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

この世にいるのは、「世界に無関心な人」と「世界へ思いやりを送ることができる人」のいずれかだ。

まもなく妊娠5ヶ月目。   妊娠に気づいたのが2ヶ月少しくらいだから、妊婦生活は2ヶ月半目くらい。   その間も時差出勤とかも含めながらもずっと電車通勤はしていて、すごくいろんな感情の動きを味わったな。   最初はマタニティマークをつけていても気づいてもらえなくて、勝手に悲しい気持ちになってたな。   通勤中は精神がとてもこわばってしまい、周囲に心を閉ざすようになった。 <スポンサードリンク>

 

まるで周りの人たちはみんな敵で、ここにベビーとわたしが存在してることを、ベビーをお腹で育んでいることを、世界から受け入れられていないような感覚になった。   そんなわけないのに!!!笑   (自分はこれまでよく気づいて譲る方だったので、特にそう感じちゃった)     でも、このときはマタニティマークつけてたけど ひっそりつけていて 席の前に立ったときにはあえて見えにくい場所にかばんを持ち直したし 優先席にも行かなかった。   いかにも譲って!みたいな図々しい感じに見られるのが嫌なくせに、気づいてもらえなくて悲しくなるという察してちゃん。 (←めんどくさいやつ)   でもこのときはこのときで なんだかいっぱいいっぱいで、通勤が精神的につらくて 毎日泣いてた。     で、体調もだんだん悪くなってきて、なんか遠慮したりうじうじしてるのが馬鹿馬鹿しくなって、図々しかろうがなんだろうが、できる限り座る!!!そしていじけない!!!って思って   ひっそり持っていたマタニティマークを隠すことをやめたし、優先席も積極的に利用した。     身を預け切っていないくせに、他力に期待して勝手に傷つく自分が嫌で、このままだと自分の精神がどんどんおかしくなっていっちゃうと思った。   だったら、人に嫌われようが図々しいやつだと思われようが、他力に身を預けたほうがぜんぜんいいと思った。   マタニティマークはほんとにいろんなこと言われるけど、人の優しさに期待してもいいじゃないか、と 思った。   だってつらくて座りたいのは本当のことだから。   でもそれは、わたしの方がつらいから、とかあの人の方がつらいから、という議論にはならない。   それはナンセンスだと思う。   だって、その人その人本人にしかわからないことだから。比較できないことだから。   そしたら、何人もの方たちが 気づいて席を譲ってくださった。   ありがたく受け取らせていただいた。     見返りのない善意を送ってくださる、知らない方々。     そう思うと、ありがたくて、丁重にお礼を伝えつつ 席に座ってから 自然と目が潤んだ。     優しさをくださったあの人に、どうかいいことがたくさん起こりますように、って 誰かのブログで読んだのだけど ただただ、祈った。     ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、。     そうして、そんなことを繰り返していたらね   一時期、あんなに殺伐として見えていた世界が、妊娠してから居場所がなくなったような気がしていた世界が 両手を広げて受け止めてくれたような感覚になった。   そっか。   悪い人って、いないんだ。いじわるな人って、いないんだ。 世界に心を送れない、世界に無関心な人と 世界を見渡して、世界へ思いやりを送ることができる人 このふたつだけなんだ、って思った。     そして、前者が悪いとも思わなくて それは、余裕のあるなしなのかな、と思ってる。     でも、わたしは後者でありたいな。   妊娠期間が終わったらもちろんだし、いまからでもそうありたいと願う。   幸いにも、最近ようやく体調不良を抜け出してきたわたしのからだ。   だから、 ヘルプマークを見たら席を譲るし ほかの妊婦さんにも声をかけるし 杖をついた人に声をかける。   もしかしてまた体調悪い期間も出てくるかもしれないし、そのときはまた人に頼らせてもらおうと思うけど   少し体にも心にも余裕が持てるようになってきたことが、純粋に嬉しいなと思う(*^^*) <スポンサードリンク>