大人になっても、結婚しても、お母さんになっても。

「食べ方は生き方」「毎日を好きなことだけで埋め尽くす」「家=最高に居心地のいいお城」がテーマ。 結婚3年目の幸せな日々を、千葉の小さな食卓からデザインしています♪

罪悪感と、"ダサくない"生き方と。

さいきんのテーマは 自分の中の罪悪感に"気づくこと"。     罪悪感を"持たないこと"、とはしていないのは     反射的に潜在意識下で思ってしまうことを 顕在意識の都合で いますぐに変えるだなんて、むちゃな話だと思ってるため。 (いきなり意識を書き換えることの失敗は、ネットワーク時代に体験済み)     でも潜在意識から顕在意識にひっぱりだす、すなわち "気づくこと"って 流れの中のプロセスとして妥当というか これならわたしにもできる。     (罪悪感に限らずなんでもそう)     まぁ、めざしてるのは『"罪悪感?なにそれおいしいの"状態』なんだけど(^^)   ***   そして、同時に "ダサくない"生き方の話。     そもそも"ダサい"生き方とそうでない生き方って 人によって定義がちがうと思うし 黒ひょう(動物占い)なわたしにはおそらく、これまでもこれからも永遠のテーマでありながら そのときどきで"ダサい"とそうでないのの定義も移り変わってきているのだけど。   懐かしー絵柄! 動物占いはベースが四柱推命で信頼できるので、たまに指針にする。     けどたぶん この一年で自身の胸の中にすっと立ちあがるようにできた"ダサくない"生き方の基準は、おそらく 今後大きくブレることはないんじゃないかな〜とおもう。     なぜならそれは 実践してみての心地よさに味をしめるという 右脳的な腹落ちと、   これからわたしたちが命を燃やしていく 21世紀に沿ったかたちのものだという左脳的な裏づけの 両方がとれているから。     ***   で、罪悪感とダサくない生き方。     ふたつの話をつなげると わたしはいまだに「うぉーダッセー!」っていう行動をしたくなるときがあって(笑) (例えば駅前のミスドが食べた〜い!とか、そういうこと) そんなときってほぼ必ず、罪悪感がついてくるんだよね。 ※エコとか健康とかの話を学んでいくとそうなる     ここで 我慢してダサくない行動を選ぶのもひとつのやり方であるのに対し 湧いてきた欲求に従うというやり方もあって。     少し前までは 前者を採用していたのだけど、   いまは後者にしてる。       そして、後者を選んだときのパターンにも大きくわけて ☆罪悪感を感じながら願望を叶える ☆願望を叶えた楽しみを味わい尽くす このふたつがあって。     ここでも ☆願望を叶えた楽しみを味わい尽くす 後者の反応を選ぶようにしてる。     願望と我慢と罪悪感と。     理屈として 身体に負担をかける行動だったり、 地球に負担をかける行動というのがあって   それとは別に やりたいな、食べたいなの願望もあって。     すべては手段であり 自分の中の幸せなお城を守ることができれば良いだけ。     で、 わたしは甘いもの食べたいなぁ〜とか ちょっとジャンクなものもたまに食べたくなったりして それも自分の幸せの要因だし     同時に いつも軽やかな気分と身体でいたくて 体調不良とか病気になるのとか、自分ごととしてはだっせー!と思うものだから   ダサくない生き方を守るために、 食生活や生活習慣を自身の免疫力の中で整えていくことも 幸せの要因。       このへんのバランスは、 試行錯誤の実験をしているところ。     初めてのクリスピークリーム! オーダーの仕方に戸惑った笑